持ちすぎない暮らし
2019.1.30暮らしを考える
「就活」
「婚活」
「保活」
「ポイ活」
・・・など、〇〇活と名のつくものが
たくさんありますよね。
その中に、「終活」というものもあるようです。
こんにちは。三協建設 堀内です。
今日は、遺品整理や生前整理にも携わってみえる
整理収納アドバイザーの方とお話しして、
私が思ったことをお伝えしたいと思います。
終活とは「人生の終わりについて考える活動」を
略した造語だそうです。
イメージとして
「死んだ後のことを考えるなんて縁起でもない」
という方も多いとは思うのですが、
昔は兄弟や子どもがたくさんいて、
長男夫婦は同居して、
ご近所さんとのお付き合いも密接で・・・
という時代でした。
しかし、時代は変わってきました。
子どもがいても遠方で離れて暮らしていて、
帰省も年に数回だけだったり。
ご近所もどんな人が住んでいるのか知らなかったり。
そんな環境の中、何の準備もなく
突然の最期を迎えると、
残された家族にかかる負担は
どうしても大きくなってしまうという現実があります。
また、私たちの親世代より上の世代の方は
モノが少ない時代を経験されています。
そして、高度経済成長期のモノの豊かさが
生活の豊かさの表れであるという風潮の中を
生きてこられた世代でもあります。
まだ使えるからもったいない。
高かったからもったいない。
良いものだからもったいない。
家の中にはたくさんのモノを所有されている
という方もとてもたくさんいらっしゃると思います。
しかし、人間一人あたりの活動量で
使うことができるモノの量には限りがあります。
所有されているモノのうち、実際に使われているのは
ほんの一部分のみで、
残りは使われずにしまいこまれているモノである
場合が多いのではないでしょうか。
そんな家が、住む人を突然失ったらどうなるでしょう。
家と土地を
遺されたお子さんが相続されるとします。
しかし、遠方にお住まいで、
その家に住むことはできません。
となると、売却・・・となるのですが、
たくさんのモノが残されたままの家、
そのままというわけにはいきません。
貴金属や各種証券なども含めた
たくさんのモノをまず確認しなくてはいけません。
そして、不要なモノを処分しなくてはいけません。
お子さんには、お子さんの生活があります。
仕事もあります。
お子さんがこういったことを行うことも大きな
負担となります。
さらに、不要なモノをそのまま捨てることも
できません。
各種分別し、モノによってはリサイクル料・処分費用を
支払わなくてはなりません。
イメージしてみてください。
昔は粗大ゴミで終わっていた壊れたTVでさえ、
今は家電リサイクル法により、適切な処分方法でないと
手放すことすらできないですよね。
物量や内容によっては
専門業者に委託しなくてはならない場合も
出てくるでしょう。
中には何百万円もかけて
処分しなければならない場合もあります。
そしてその負担は、
遺産を相続することになるお子さんに
かかってくるのです。
さて。私の実家は、現在、
母親が一人暮らしをしています。
私は、その家で育ったので
家の中のモノの量について、
何の疑問も持ったことはありませんでした。
私も母も、割と大雑把な性格で
どちらかと言えば、片づけは苦手なタイプでしたし、
モノを増やすことについて
深く考えるという習慣はありませんでした。
そんな私が結婚した相手は、
自分と全く逆のタイプの
片づけが得意で、几帳面な妻でした。
結婚後、妻は家の中のモノに、
定位置を決めました。
私が実家暮らしのときからのクセで
出しっぱなしにするモノがあると、
その場所に私が簡単に片づけられるような
仕組みを準備してくれました。
持っている服と
同じような服をまた買ってしまっていた私に
クローゼット内を定期的に見直す
機会を季節ごとに設けてくれました。
そうして、結婚して15年以上たち、
気が付いたら、いつの間にか
大雑把で片づけが苦手で
同じようなモノを買ってしまったり、
どちらかというとモノを捨てられないタイプだった私が
自分の管理できる適量を
自然と考えるようになっていました。
それは、無理をするわけでも
頑張るわけでもなく。
気が付いたら、いつの間にか・・・です。
自分の管理できる適量を考えず
服を買っていた私が
限られたクローゼットスペースの中で
どれを持つことを選ぶのか?と
考えて購入するようになったのです。
そして最近、私は実家に帰ると
家の中のモノの多さが目に入るようになりました。
自分が住んでいる時には、気にしたことなど
なかったのにも関わらずです。
環境が人をつくる
と、よく言いますが、
まさに私自身が
生まれ育った環境で身につけた習慣から、
妻が整えてくれた環境で暮らすことによって
行動と考え方が変わってきたのだと思います。
家づくりに携わる私は、
家を建てる際によくお客様から
「収納がたくさん欲しい」
という声をききます。
収納がたくさんあれば、
たくさんのモノを持っていたとしても
収納の中にしまってしまえば、
部屋は片付いてみえるでしょう。
しかし、たくさんのモノを管理することは
それだけの労力を伴います。
そして、人間は加齢とともに
体力が落ちていきます。
記憶力も低下していきます。
加齢はいきなり進みません。
気付かないくらい少しずつ。
徐々に、徐々に。
まだまだ元気なつもりでも
ふと気が付いたら、
自分も高齢者と呼ばれる年代になっていて
たくさんのモノを管理する体力・記憶力が
低下してしまっているかもしれません。
しかし、慣れ親しんだ環境によって
身についた行動をその時に
いきなり変えようとすることは
とても大変ですし、負担を伴います。
だったら、
収納は「量」ではなく
「管理のしやすさ」を念頭において計画して、
環境を整えておくことが
未来の自分を
助けることになるのではないかな?と思うのです。
自分で管理できる量で暮らす
持ちすぎない暮らしを習慣としていれば、
遠くない将来、自分が年老いた時に
「終活」や「生前整理」といった
特別な活動や整理をしなくてもよくなります。
遺されたお子さんに
負の遺産を遺すことなく。
「終活」や「生前整理」「遺品整理」という
言葉自体がなくなるくらい、
日々の暮らしの中で
何を選びとっていくのかを
自分自身で考えることが
当たり前になっていくといいな・・・と思ったのでした。
では、また。