三協建設株式会社

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子育ての普通って・・・

2018.11.9
暮らしを考える

家づくりを考えている子育て世代の方と

お話していて、時々考えたりしていることを

ちょっと書いてみます。

 

こんにちは。三協建設 堀内です。

私自身は自分が1歳半の頃に

父を亡くしております。

決して豊かではない母子家庭で育ち、

20数坪の平屋で幼少期から学生時代を

過ごしました。

 

まあ、昔の家でしたから

夏は暑いし。

冬は寒いし。

 

子ども部屋と呼ばれるような

個室もありませんでした。

 

友達が持っているような

流行りのゲーム機も

普通には買い与えられませんでしたし、

長期休みにテーマパークに連れていってもらうことも

ありませんでした。

 

周りから見たら、もしかしたら

「大変そう」と思われるような

環境だったのかもしれません。

 

しかし。

本人はそんなつもりは

まーったくありませんでした。

 

・・というか、

生まれてきてからずっとそれが

私にとっての「普通」だったんです。

 

無いなら、無いなりに

そりゃあ、なんとかなるもんなんです。

 

ゲーム機がなければ、

友だちの家でゲームをしたり、

外でサッカーをしたり、

それに代わる遊びをすればいいわけだし。

 

テーマパークは自分で行ける年齢になってから

楽しみました。

 

子ども部屋がなくても、

何の支障もなく暮らしておりました。

 

勉強机は居間のすぐそばに置いてあり、

親の目の届くところで宿題をしていたし。

思春期になって、自分だけの空間が欲しくなったら

無理やりにでも3畳のスペースで

個室をつくったりしていました。

 

今から思い返しても、別に親に対して

「どうして僕には自分の部屋がないんだ!」

なーんて、思ったことなんて

一度もなかったように思います。

 

そういった環境で育ったからか、

「無い」状態からどうやって生み出すか?

どうしたらよりよい状態にできるか?

といった方法を考える力が

自然に鍛えられてきたのかな~

なんて思ったりもしています。

 

また、この自分で考える力というのは

「有る」ことが当たり前ではない、

社会において役立つ場面って

多かったりする気がします。

 

母は、兄や私に

不自由な思いをさせて申し訳なかった

という気持ちがあるようですが

兄や私はむしろ、

こういった環境で一生懸命に育ててくれた

母に対して感謝の気持ちを強くもっています。

 

また、父親がいない代わりに

父親代わりの人が二人いました。

すぐ近くでいつも見守ってくれた叔父と

その叔父が出会わせてくれた弊社会長です。

 

この二人の姿勢も私に大きな影響を

与えてくれたように感じています。

 

さて。

冒頭で出てきた、

家づくりを考えている子育て世代の方と

お話していて、感じることなのですが、

多くの方は

「自分が親に〇〇してもらったから、

子どもにも〇〇してあげたい」

ということを言われます。

 

もちろん、それぞれの子育てのベースと

なるのはご自身のご両親でしょうから、

それはとってもよく分かります。

 

自分が与えてもらったものは

次世代にも与えていきたいという思いも

もちろんあると思います。

 

でも。

「自分の子ども部屋が6畳あったから

子ども部屋って6畳くらいが普通」

でしょうか。

 

「自分が親に〇〇してもらったのに

子どもに〇〇してあげないのはかわいそう」

でしょうか。

 

「他の子が〇〇を与えられているのに、

うちの子だけ持っていないのはかわいそう」

でしょうか。

 

私は、個人的には

子どもに不自由なく与えることは

義務ではないと考えています。

 

子どもに不自由なく与えることが

子育ての普通だとも思っていません。

 

何不自由なく、与えることよりも

子ども自身が将来、生きていくときに

自分で考えられる力を

養う環境をつくることの方が

最終的には子どものために

なるのではないかな?と思うからです。

 

「AI(人工知能)の進化により

多くの仕事がAIに置き換えられる」

と言われているような

これからの時代。

 

人間の仕事が

AIに奪われていくということは

いずれは

「AIを使う側の人材」か

「AIが進歩しても、現場になくてはならない人材」しか

生き残れなくなっていく時代が

やってくるということです。

 

そのために、

子ども自身が

「ゼロからイチを生み出せる力」を

「今ある状況から、自ら突破口を見つける力」を

養っていく・・・。

そんな視点も必要ではないかなと思うのです。

 

そんな風に考えてみると、

「不自由なく与える」という固定概念を

一度手放してみるのも

あり かもしれません。

 

では、また。

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